公開日:2025.09.12
「夢芝居」「神田川」「俺たちの旅」──これらの楽曲はいずれも昭和を代表する名曲ですが、その誕生の裏には、意外なエピソードや人との縁が隠されていました。
作詞、作曲を手掛けた小椋佳さん、南こうせつさん、中村雅俊さん(以下、小椋さん、南さん、中村さん)が語る、名曲の「舞台ウラ」。その言葉に耳を傾けると、あの頃の歌が、少しだけ近くに感じられるかもしれません。
この記事は、YouTubeチャンネル「SBIシニアの住まいとお金ch」で公開されている、小椋さん、南さん、中村さんのご出演動画に基づいて作成しています。動画の詳細はこちら(第1回・第2回・第4回)からご覧ください。
小椋さん、南さん、中村さんのプロフィールを簡単にご紹介します。
東京大学卒の元銀行員という異色の経歴を持つシンガーソングライター。「夢芝居」「シクラメンのかほり」「さらば青春」「愛燦燦」など、文学的な歌詞と繊細なメロディで多くの名曲を生み出してきた。
フォークグループ「かぐや姫」のリーダーとして「神田川」「赤ちょうちん」「妹」などをヒットさせ、ソロでも「夢一夜」「満点の星」「夏の少女」などの名曲を発表。温かみのある歌声で昭和の青春を彩った。
俳優としての活躍と並行して歌手活動を続け、「ふれあい」「俺たちの旅」「恋人も濡れる街角」などのヒット曲を持つ。ドラマとともに記憶に残る歌声で、今もなお世代を超えて愛される存在。
小椋さんが作詞、作曲を手がけた「夢芝居」について、当時は『(作るのが)めんどくさいなと思ってた』と語っています。
雨でゴルフの予定が流れたある日曜に、自身も傑作だったと振り返る童謡を仕上げた勢いで、乗り気ではなかった梅沢さんの曲にも取りかかりました。ただ、気持ちはどこか投げやりだったようで、直前に仕上げた童謡のメロディを、メジャー調からマイナー調に変えただけの曲を『これでいいや』と渡してしまいます。
こうして生まれた「夢芝居」がまさかの大ヒット。『まさかヒットになるとは思わなかった』と語る小椋さんの言葉には、驚きと照れがにじんでいました。
「神田川」は、昭和の若者たちの暮らしと心情を、静かに、しかし深く描いた名曲です。南さんはこの曲について、作詞を手がけた喜多條忠さんが、自身の暮らしをそのまま歌詞にした作品であることを明かしています。
喜多條さんは、もともとラジオ番組の構成をしていた人物で、学生運動にも参加していました。そんな彼が、実体験をもとに綴った歌詞には、四畳半の部屋や銭湯の帰り道、赤い毛布といった、当時の若者たちの生活がリアルに描かれています。
「神田川」は、誰かの特別な物語ではなく、あの時代を生きた多くの人々の記憶に寄り添う一曲だからこそ、今もなお、静かに心の奥に残り続けているのかもしれません。
「俺たちの旅」が大ヒットしたことで、レコード会社からフランスとイギリスへの旅行をプレゼントされた中村さんは、イギリス滞在中に思いがけない出会いを果たします。
当時、ビートルズのジョージ・ハリスンが社長を務めていたレコード会社の関係者と縁があり、なんとご本人の自宅を訪問することになったのです。『2時間も話したんですよ。大学時代に英会話クラブにいたのが、ここで役に立ちました』と笑顔で語る中村さんの姿からは、音楽がつないだ奇跡のような出会いに対する喜びが伝わってきました。
「夢芝居」「神田川」「俺たちの旅」──これらの曲の裏側には、作り手たちの素直な思いやエピソードがありました。名曲の裏側にある物語を知ることで、あの頃の歌が、少しだけ近くに感じられるようになります。
ここまで、「夢芝居」「神田川」「俺たちの旅」の3曲のエピソードに絞って紹介してきましたが、本編動画では、さらに詳しいエピソードや、違った議題でのトークもご覧いただけます。ぜひご視聴ください。
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